都電荒川線の小さな旅(1日乗車券利用)
9/15(土)久しぶりに東京歩く会に参加。都電三ノ輪橋へ12時30分集合。
荒川線は三ノ輪橋~早稲田 距離は12.2KMで駅は30あるようです。
その前に、昼食を三ノ輪の商店街、まるでタイムスリップしたような商店街、ソバの「砂場」に入る。店内も懐かしさを覚える雰囲気。なぜか立教黄金時代の長島と杉浦の写真が、店主に聞いたら、応援団の人が持ってきたとのこと。
駅前の梅沢写真館は以前は王子電気鉄道(都電の前身)のビルだった。江戸時代は対馬府中藩の宗対馬義和10万石などの大名屋敷だったようだ。
下谷の三寺の一つ、円通寺(他は下谷廣徳寺、下谷鬼子母神)曹洞宗 延暦10年(791)の開かれた古刹、寺内には百観音、慶応4年(1868)の上野戦争戦士した彰義隊士の墓や石碑がある。
泊船軒 臨済宗 寛永4年(1627)
画像はありませんが、本堂天井の雲竜図は小室翠雲に描かれた見事なもの。翠雲の作品は東京国立近代美術館にもあるようです。
この寺の隅にある「山吹の塚」大田道灌の山吹の話しのあるところ。
他には、面影橋、越生、六浦がある。
レンガ工場跡と荒川遊園地
明治初期に遊園地周辺にレンガ工場が出きた。住宅の塀が、当時の名残り。
その隣が区立荒川遊園地 都電1日乗車券で入場できる
子供からお年寄りまで楽しめるアットホームな遊園地。多くの家族連れで賑わっていた。ここも戦争中は高射砲基地だったようです。
この建物は下町都電ミニ資料館
都電6000形 一休さん号も?
近くの江戸時代には十二天社といわれた船方神社
荒川車庫駅に降り
車庫に隣接して「おもいで広場」があり、かって活躍した「PCCカー」の5500形、学園号と呼ばれた7500形が展示され、一部の車両は冷房の効いた車内に入れた。係員もとても親切に対応してました。
王子駅前で降りる 明治6年(1873)に渋沢栄一が設立した会社で、当時は「抄紙会社」といったそうです。
旧王子製紙は発祥の地でもあり、道路沿いに「洋紙発祥乃地」の碑があった。
その先に国の印刷局に隣接した「お札と切手の博物館」 お札や切手を印刷局で製造している、その歴史や過程など詳しく見学ができました
今日のメインの音無親水公園へ
かって石神井川はここから上野不忍池から日本橋への流路でありましたが、江戸時代以前に人工または自然に流路を変え、この音無渓谷~隅田川に注いでいる。江戸時代から景勝地として親しまれいる所です。
音無の名は王子神社は熊野神社を勧請したもので、熊野に流れる音無川の名前をつけてもののようです。
王子神社 中世に熊野信仰の拠点となった立派で格式のある神社
再び都電に乗り、西ヶ原四丁目駅へ 江戸三大閻魔(新宿 太宗寺、杉並華徳院、善養寺)の一つ 善養寺へ
尾形乾山の墓 江戸中期の絵師、陶師
妙行寺 お岩さんのお墓や浅野匠頭の夫人の供養塔がある
映画の大映(設立当初は大都映画)巣鴨撮影所のあったところ 坂東妻三郎、市川歌右衛門、水谷八重子など子供の頃のスターが
ラストは都電雑司が谷駅へ 雑司が谷墓地へ 時間も無いので泉鏡花と羽仁もと子の眠るお墓をお参りする。
今日は、余り訪ねることも無い、荒川や北区などの名所を訪ね、新発見をしましたが、暑いので、山登りよりきつい1日でした。帰りは雑司が谷で反省会をした。その後大塚へ戻る予定が、うっかりして終点の早稲田へ行ってしまい、怪我の巧妙で始発の三ノ輪橋駅~早稲田まで都電荒川線を制覇しました。
荒川線は三ノ輪橋~早稲田 距離は12.2KMで駅は30あるようです。
その前に、昼食を三ノ輪の商店街、まるでタイムスリップしたような商店街、ソバの「砂場」に入る。店内も懐かしさを覚える雰囲気。なぜか立教黄金時代の長島と杉浦の写真が、店主に聞いたら、応援団の人が持ってきたとのこと。
駅前の梅沢写真館は以前は王子電気鉄道(都電の前身)のビルだった。江戸時代は対馬府中藩の宗対馬義和10万石などの大名屋敷だったようだ。
下谷の三寺の一つ、円通寺(他は下谷廣徳寺、下谷鬼子母神)曹洞宗 延暦10年(791)の開かれた古刹、寺内には百観音、慶応4年(1868)の上野戦争戦士した彰義隊士の墓や石碑がある。
泊船軒 臨済宗 寛永4年(1627)
画像はありませんが、本堂天井の雲竜図は小室翠雲に描かれた見事なもの。翠雲の作品は東京国立近代美術館にもあるようです。
この寺の隅にある「山吹の塚」大田道灌の山吹の話しのあるところ。
他には、面影橋、越生、六浦がある。
レンガ工場跡と荒川遊園地
明治初期に遊園地周辺にレンガ工場が出きた。住宅の塀が、当時の名残り。
その隣が区立荒川遊園地 都電1日乗車券で入場できる
子供からお年寄りまで楽しめるアットホームな遊園地。多くの家族連れで賑わっていた。ここも戦争中は高射砲基地だったようです。
この建物は下町都電ミニ資料館
都電6000形 一休さん号も?
近くの江戸時代には十二天社といわれた船方神社
荒川車庫駅に降り
車庫に隣接して「おもいで広場」があり、かって活躍した「PCCカー」の5500形、学園号と呼ばれた7500形が展示され、一部の車両は冷房の効いた車内に入れた。係員もとても親切に対応してました。
王子駅前で降りる 明治6年(1873)に渋沢栄一が設立した会社で、当時は「抄紙会社」といったそうです。
旧王子製紙は発祥の地でもあり、道路沿いに「洋紙発祥乃地」の碑があった。
その先に国の印刷局に隣接した「お札と切手の博物館」 お札や切手を印刷局で製造している、その歴史や過程など詳しく見学ができました
今日のメインの音無親水公園へ
かって石神井川はここから上野不忍池から日本橋への流路でありましたが、江戸時代以前に人工または自然に流路を変え、この音無渓谷~隅田川に注いでいる。江戸時代から景勝地として親しまれいる所です。
音無の名は王子神社は熊野神社を勧請したもので、熊野に流れる音無川の名前をつけてもののようです。
王子神社 中世に熊野信仰の拠点となった立派で格式のある神社
再び都電に乗り、西ヶ原四丁目駅へ 江戸三大閻魔(新宿 太宗寺、杉並華徳院、善養寺)の一つ 善養寺へ
尾形乾山の墓 江戸中期の絵師、陶師
妙行寺 お岩さんのお墓や浅野匠頭の夫人の供養塔がある
映画の大映(設立当初は大都映画)巣鴨撮影所のあったところ 坂東妻三郎、市川歌右衛門、水谷八重子など子供の頃のスターが
ラストは都電雑司が谷駅へ 雑司が谷墓地へ 時間も無いので泉鏡花と羽仁もと子の眠るお墓をお参りする。
今日は、余り訪ねることも無い、荒川や北区などの名所を訪ね、新発見をしましたが、暑いので、山登りよりきつい1日でした。帰りは雑司が谷で反省会をした。その後大塚へ戻る予定が、うっかりして終点の早稲田へ行ってしまい、怪我の巧妙で始発の三ノ輪橋駅~早稲田まで都電荒川線を制覇しました。








































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